もう一度訪れるサイパン

by Robert Gilhooly
Pacific Melting Pot 歴史と料理と文化のメルティングポット

山口仁さんが私の後方を激しい身振りで示している。ちらりと振り返ったが、コバルトブルーの広がりばかりで、遮るものは私のダイビングレギュレーターから盛んに立ち上る空気の泡だけだ。そのとき珊瑚礁の向こうからなにかが現れた。長い尾を持った円盤状の大きな物体――スターシップ・エンタープライズとサンダーバード4号のあいだに生まれたようなものが、水中を悠々と泳いでいる。

幸いにも、そばでぽかんと見つめる二人の人間に気づいていない様子なので、後にマダラトビエイと知ったその物体を、私はためらいながらも追いかけて行った。数秒のあいだ、エレガントにして美しい斑点のついたサメの親戚に見ほれていると、思いもかけないことに、横に並んで泳ぐ光栄に浴した。

Pacific Stingray それもつかの間、全長3メートルの生物はくちばし状の頭を私の方に向けると、アクセルペダルをぐいと踏み、チョウチョウウオの大群のあいだを抜けて、今日は少しばかりのクマノミの遊び場になっている、色彩豊かなサンゴとイソギンチャクの切り立った壁の向こうへと消えて行った。

エイと出会う前から、私はこの海域に畏敬の念を抱いていたが、その理由はさまざまな海洋生物が生き生きと暮らしているからだけではない。私のダイビングコンピューターは水温28度Cを示している。エベレストがすっぽりと入ってなお数キロの余裕がある、世界でもっとも深いマリアナ海溝にほど近い海であることを考えれば、驚くほど温かい。

それだけではない。マリアナ・スポーツ・クラブのインストラクターである山口さんから後で聞いたところ、今日は視界50メートルほどの透明度しかないが、普段このあたりの透明度は平均してその2倍はあるとのことだった。「このあたり」と山口さんが言う海域は、ミクロネシアに浮かぶサイパン島周辺の海。サイパン島は14の熱帯の島からなる北マリアナ諸島でもっとも大きく、事実上中心をなす島である。

Submarine 海中火山が生んだサイパンは、最古にして多様性に富んだ珊瑚礁が特徴だ。なかには1944年のサイパンの戦いで失われたアメリカの戦車や日本の軍艦など、第二次世界大戦の兵器からできた人工の珊瑚礁もある。

過去40年にわたって世界中のダイビングファンを惹きつけてきたのがこの多様な珊瑚礁で、とりわけアメリカの自治領になった1986年に観光産業は頂点に達した。

1997年にアジアが経済危機に見舞われて以降、黄金時代を謳歌したサイパンの観光業はやや衰えたというものの、この島には日本の観光客を引き寄せる強力な力がふたつある。ひとつは成田国際空港からわずか3時間というロケーション。もうひとつは日本が真冬のときも、29度C前後という温暖な気候である。

Pacific Food 面積122平方キロの小さな島だが、太平洋上の戦略的な位置に浮かぶこの島には、過去4世紀のあいだにスペイン、ドイツそして日本の統治下に置かれた時代があった。最初にこの地に住み着いたのはチャモロ族で、3500年以上前のことだった。

しかし今日もっとも目立つのは、アメリカの影響である。ショッピングモールやファーストフードのチェーン店に加えて、アメリカなまりの英語がしばしば聞こえてくる。ただし人口の約20%は、スペインと日本語からの借用語がふんだんに混ざった現代版のチャモロ語を話す。

この島が文化のメルティングポットになったことを、一層反映しているのが当地で供される料理だろう。毎週木曜日夜にカラフルなストリートマーケットが開くガラパンには、この街でもベストのレストランが集まり、タイ、インド、フィリピン、中国、メキシコ、そして日本の料理が食べられる。

Pacific Diving 一方、この島屈指のレストラン<360>は、今挙げた国の料理がうまく溶け合った、バラエティー豊かなメニューが自慢だ。この回転するレストランは島でもっとも高い建物で、最上階から眺める絶景だけでも足を運ぶ価値がある。

日本の影響もやはり大きく、とりわけショッピングとエンタテイメントの中心地で、活気に溢れるガラパンで顕著に現れている。30年にわたる日本の統治時代、ガラパンは“リトルトーキョー”と呼ばれた。戦時中は沈滞したが、バブル景気に湧いた1980年代には、ブランドものを買い求める日本人観光客のおかげで活況を取り戻した。

歴史的な名所もやはり大抵は日本がテーマだ。「砂糖王」松江春次の銅像が立つシュガー・キング・パークは日本人ゆかりの場所。松江は角砂糖を発明した人物で、戦前、サイパンの砂糖産業を育成する役目を担った日本企業のリーダーだった。ここには腐食が進みつつある赤と黒に塗り分けた蒸気機関車が展示してある。サトウキビを畑から松江の工場に運ぶのに使われたのだ。ちなみにこの工場は戦争で破壊され、今日この場所にはマウント・カーメル大聖堂が建っている。

もうひとつの歴史的所産には重苦しい空気が漂う。陸上と海中にあるおびただしい数の兵器に加え、推定5万人の市民と日本人兵士の命を奪った戦争が残す、象徴的な遺物がいたるところにあるのだ。

Pacific Tank なかでももっとも有名なのはバンザイクリフとスーサイドクリフだろう。沖縄出身者を含む推定2万人の日本人が、侵攻するアメリカ軍の捕虜となるよりは、国のためにと海に飛び込んで命を絶った。

島の内陸部はほとんどが人を寄せつけない山間のジャングルで、まだ使える武器がそこかしこに残っていると言われる。おそらくそれが理由なのだろう、観光客の大半は島の西側にある白砂が美しい浜辺から離れず、そこからマナガハ島(サイパンでベストのシュノーケリングスポットがある)か、バードアイランドへ日帰りで出かける。

そのバードアイランドから見て、入り江を挟んだ対岸にあるのがグロット、洞窟のダイビングとしては世界でもトップ3に入るとしばしば喧伝される、シュノーケラーのパラダイスだ。

グロットは石灰石が海水で浸食されてできた洞窟で、116段もある急な階段を降りるとコバルトブルーをした天然のプールの縁にたどり着く。ここには3本の水中トンネルを通って海水が入ってくるのだ。

ガイド付きで2回経験したビーチダイブが平和だっただけに、自然が作った深さ20メートルの海中洞窟にこれからジャンプすると思うとちょっと怖くなるし、閉所恐怖症の向きにはお勧めではない。しかも海水が強い力で押し寄せてくるので、経験豊かなガイドについてもらうのが必須条件だ。

Pacific Train ありがたいことに、サイパンに来て18年という山口さんはここで数百回とダイブした経験者。彼の判断を信じて、私は後についてゆったりとした斜面沿いに洞窟の岩だらけの底に向かった。

それは幻想的な体験だった。プール内部の暗さが、アーチ形をした3本のトンネルから差し込む光でオパールブルーに輝く窓とコントラストをなす。3本のなかでもっとも狭いと思われるトンネルを抜け出ると、イットウダイとメジナの大群が勢いよく通り過ぎていき、頭上では珊瑚礁が作る狭い峡谷にぶつかって砕ける波により、円形の光が差しては消え、魚の動きがストロボを当てたように見える。

サイパンでの私の水中アドベンチャーの最後を飾ったのは、黄色い潜水艦による航行という奇抜な体験だった。派手な黄色に塗られた『ディープスター』号はタナパグ環礁の海底の、アメリカの戦闘機や、1944年に魚雷で撃沈された全長123メートルの貨物船『松安丸』に私たちを誘う。案の定、乗り合わせた乗客(ほとんどが中国人)がビートルズの有名な歌を歌い始めたちょうどそのとき、私が覗いていた船窓の前を珊瑚礁に住むサメの一種、ネムリブカがゆったりと通り過ぎていった。なにもかもちょっと空想じみている。しかしサイパンでは、現実ははるかかなたに思われるのである。

お勧め
リゾート
パシフィック アイランド クラブ
www.picresorts.com/Saipan
ダイビング
マリアナ・スポーツ・クラブ
www.mscsaipan.com
食事
<360 >回転レストラン
www.360saipan.com
歴史を辿る旅
パシフィック・デベロプメントInc
www.pdisaipan.com
潜水艦
www.submarine.co.mp