現役を退いた砕氷船、一般公開される
船橋港に係留された「SHIRASE」のオレンジ色の船体は、毅然とした姿でどっしりとそそり立っている。最大5メートルもの厚い氷を割って押し進むように設計され、25年にわたり南極圏の厳しい海を航海し、日本の南極探検隊を支え続けたこの船が、巨大なパワーを要するのも不思議ではない。
「SHIRASE」が、このほど長い航海のすえに現役を退いた。オーストラリア南方海域の伝説と言われた船であったが、一時スクラップの瀬戸際まで追い込まれたこともあった。しかしその「SHIRASE」を民間の気象情報会社ウェザーニューズが買い取り、一般に公開している。一日に3回ずつ乗船の機会があり、現役時代は170名の乗組員と60名の観測隊員の“わが家”だった船を見学することができる。
まず船尾にある広さ1000平方メートルのヘリコプター甲板を歩くと、地上1キロの高層大気を観察するための観測気球を上げるハッチがある。3機のヘリコプターを収容できる格納庫はコントロールルームに見守られており、そのコントロールルーム備え付けのドームには回転式のレーダーアンテナが内蔵されている。
砕氷船がその役割を果たすもっとも重要な部分である船首近くには大きなクレーン。これで食料を始めとして、南極探検で使うあらゆる装備をハッチから積み込んだ。甲板には男性の腕ほどもある太いロープがきちんと巻いてある。しかしかつての船上はいつもこんなに穏やかなわけではなかった。記録によると、2001年12月12日に水平状態から実に53度まで傾いたとある。実は「SHIRASE」の横揺れは他の船よりことさら激しかった。海中の氷と衝突する危険があるので、船体の下部にスタビライザーの備えがないためだ。
グローバルアイスセンターには、北極圏を取り囲む海岸線 ―― 北アメリカ大陸の最北端、グリーンランド、ロシア沿岸 ―― を描いた巨大な地図がある。
そして船内には手術台まで完備した病院、歯の治療室、床屋が備わっており、中でも厨房は比較的広くて設備も整っているが、海が荒れたとき、コックの仕事は困難を極めたに違いない。ご飯を炊くには巨大な釜を使い、トースターはパン一斤分を一気に焼き上げるほど大きい。それにアイスクリームを作る機械もある。厨房の一隅ではもやしが栽培されて、冷凍食品中心のメニューのなかで、ありがたい副菜になっていた。
また食堂には白瀬 矗(しらせ のぶ)による南極探検への貢献を示す品々が少数ながら展示されている。日本の南極探検の父ともいうべき白瀬は、ロバート・ファルコン・スコットやロアール・アムンゼンに相当する人物。ただし、「SHIRASE」という船名は直接、白瀬 矗にちなんでつけられたわけではない。
陸軍中尉だった白瀬は、当時の帝国議会に南極圏探検のための資金援助を要請するのだが、却下されてしまう。しかしそれで引き下がることなく自力で資金を調達し、1910年12月、木造帆船「開南丸」で東京港を出帆する。南極大陸のリュツォ・ホルム湾の奥にある氷河が「白瀬氷河」と名づけられたのは白瀬が没した20年後、1956年のことだった。
ところでこの船には記憶と記録だけでなく、今はもっとたくさんのものが積まれている。
船尾に向かって3つある広々した船室に、ウェザーニューズ社の環境と気象プロジェクトの中核となる機器が備わっているのだ。
グローバルアイスセンターには、北極圏を取り囲む海岸線 ―― 北アメリカ大陸の最北端、グリーンランド、ロシア沿岸 ―― を描いた巨大な地図がある。
2番目の船室は地震活動を地球規模でモニターするのに充てられており、地表の動きがスクリーン上に記される。3番目の船室は火山の噴火と津波の観察用だ。コンピューターが火山灰の分布と津波のシミュレーションをする一方、日本全国に設置された500個のウェブカメラが、活動が盛んな火山を常に監視している。
ツアーの最終地点は船のブリッジ。船幅いっぱいに広がるブリッジからは穏やかな東京湾が一望できる。残念ながらその視界に氷の姿はないのだが。
http://shirase.info/





