進化を続ける京都の料亭:「吉兆」

by Julian Ryall
吉兆 進化を続ける京都の料亭:「吉兆」、創業80周年を迎える

ピラミッド型にざっくりと盛られたかき氷の上から慎重に注がれた抹茶のグリーン。その色は吉兆の庭に植えられた松の緑よりも濃い。入念に点てたお茶の味と氷の粒に抹茶のグリーンがひときわ引き立つ、昔からある夏の定番メニューだ。粗い光沢仕上げの器の底には深紅のつぶ餡が敷いてある。

京都吉兆 嵐山本店シンプルにして、人の五感に絶妙に訴えかける一品。20代始めに、麺の水切りざるを初めて手にして以来、徳岡邦夫さんが目指してきたものが、まさに凝縮されている。世の食通が高く賞賛するミシュランガイドの執筆陣は、徳岡さんが目指してきた料理を実現したと確信して、三ツ星を与えたのだった。

徳岡さんの祖父である湯木貞一氏が京都嵐山に開いたこの料亭がよく知られているのは、食体験のあらゆる部分で最高級のクオリティーを提供しているからだ。最高品質の食材から始まり、部屋の飾り付け、給仕とおもてなし、かすかに香るお香、お客様と行事に合わせて選ばれた掛け軸や生け花まで、細心の配慮がすみずみまで行き届いている。 しかし、何にもまして人々はここの料理を目当てに吉兆を訪れる。歴史ある「茶の湯」の影響を強く受け、開業以来80年、連綿と洗練され続けている料理である。

「『懐石』はアートの一つの形態といえるかもしれませんが、文字通り“懐に入れる石”という意味です。これは禅僧が僧坊で空腹と寒さをまぎらわせるために、暖めた石を懐に入れたことからきております」と語る徳岡さんは現在50歳。「今日もっとも大切なことは、料理を使ってお客様に気持ちを伝えることです」。

14世紀の偉大な茶人、千利休はお茶と料理とのあいだに“完璧な”バランスを見出し、茶会の席を利用して客人に気持ちを伝えた、と徳岡さんは続ける。今日、お茶はもはや手に入れるのが難しい食材ではない。それどころか、千利休が夢にも思わなかったであろう多彩な食材に使われるようになった。それでも利休が唱えた本質的な価値は、今でも変わることなく伝えられている。

「懐石では手に入るあらゆるものを使って、お越しくださった方にこちらの気持ちを伝えます」。徳岡さんはそう言うと、腕をさっと一振りして、私たちが座っている個室が周到に準備されていることを示した。

私たちは艶やかな漆塗りのテーブルを前にしながら、畳の上に敷いたじゅうたんの上に座っている。やはり外国人である私にとって、直接畳の上であぐらを組んだのでは寛げそうもなかったからだ。床の間には掛け軸がかけてあり、篭には花がシンプルに生けてある。二方向の障子は開け放たれ、ガラス引き戸の向こうの庭は、自然そのままの趣を保っている。苔むした斜面の上には小さな石灯籠がひとつ、木々は今まさに秋の色をまとい始めようとしている。

Ultimate Dining Experience季節の移ろいに応じて、徳岡さんとその料理チームは、旬を迎えようとしている食材を検討し始めていた。人気の高い品は、海老芋とあえた海老しんじょう。大根、たまねぎ、昆布だし、それにバターでこしらえたクリーミーなソースを、グリルしたなた豆、人参、椎茸にかけて添える。もうひとつ、湯葉蒸しも徳岡さんの創作料理で、山芋と穴子を京都名産の湯葉で巻いてある。

ヨーロッパのトリュフと同じように、日本ではこの季節、きのこ類が珍重される。マツタケとハモを合わせた一品など、この時期しか楽しめない旬の味だ。

徳岡さんにお気に入りの素材はとたずねると、意外な答えが返ってきた。

「お米、しょうゆ、それにわさびです」。何のためらいもなくそう言いきる。「いずれも日本料理の基本ですね。私の好きな食材として、この三つは甲乙つけがたいものなのです」。

「基礎の基礎から始めること。それに最高の品質の食材を選ぶことです。ことに水と塩は大切です。この二つは基本要素で、これ次第ですべてが左右されるからです」と徳岡さんは言う。「食材の品質と風味、これは常に変化するものです。だから扱う食材には細心の注意を払い、いつも品質のよいものを手に入れるよう心がけています。今より良い品質の食材が見つかれば、業者を変えることもいといません」。

同じように、徳岡さんはお気に入りのレシピを限定できないという。“美味しさのアイデア”をいつも追い求めているのだと。

「私は科学的な観点から、美味しさのアイデアを求めようとしているのです。美味しさって何でしょうね?」。徳岡さんはそう問いかける。「私は大学教授や作家、芸術家の人たちと議論を重ね、いくつかの結論にたどりつきました。化学物質が旨み成分になることがあります。昆布から採れるグルタミン酸と、鰹節に含まれるイノシン酸とでは風味に大きな違いがあるのですが、その二つを適切な量であわせると美味しさは8倍にもなるのです」。

「人の舌にある味覚の受容器が脳と繋がると、脳はドーパミンとエンドルフィンを分泌し、その二つが組み合わさって爆発する。それが味の正体です」。

徳岡さんいわく、おいしい料理を作る秘訣は適切な食材を見つけ、それを完璧な分量で組み合わせること、しかもそれぞれのテクスチャーをうまく調和させることだと言う。なおかつ、今まで誰もやったことのない方法でやるのが、勘どころなのだそうだ。

「欧米では、サプリメントを時々飲むだけで、ちゃんとした食事などは必要ないと考える人たちがいますが、ことはそう単純ではないのです」と徳岡さんは続ける。「甘みを感じる受容器が1種類なのに対して、苦味を感じる受容器は50種類あります。テクスチャーを感じるものは無数で、380種類の受容器が香りを嗅ぎ分けます。あらゆる神経を働かせる風味を作り出そうと思えば、これらすべてを考えに入れる必要があるわけです」。

「深みも付け加えなければいけません。香りも必要です。日本語には粘り気や滑らかさを表す擬音語がたくさんあるし、食べ物に関する表現は数え切れません」と言い添える。

「何かを美味しいと感じるかどうかは、食事の相手や環境、それに五感を通して受けるあらゆるものに左右されます。料理人がひとつの風味にだけこだわっていては、本当に美味しい料理を作ることはできないでしょう。それでは肝心な点が抜けてしまいますからね。昔は科学的な情報は手に入らなかったでしょうが、現代ではそれが可能です。科学的な情報は、私にはなくてはならない料理のツールです」。

徳岡さんはこう締めくくった。「一番大切なことは料理で幸福をもたらすこと、世界中の人々が幸福を共有することなのです」。

写真は『Kitcho: Japan’s Ultimate Dining Experience』(講談社インターナショナル刊。定価5,500円)より転載しました。

写真は『Kitcho: Japan’s Ultimate Dining Experience』(講談社インターナショナル刊。定価5,500円)より転載しました。

京都吉兆 嵐山本店
〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町58
Tel: 075-881-1101
www.kitcho.com/kyoto/english/